1945年の「社会を流動化させるための戦争継続」論

私は敗戦を予想していたが、あのような国内統一のままでの敗戦は予想しなかった。アメリカ軍の上陸作戦があり、主戦派と和平派に支配権力が割れ、革命運動が猛烈に全国をひたす形で事態が進行するという夢想を描いていた。国内の人口は半減するだろう。統帥が失われ、各地の軍隊は孤立した単位になるだろう。パルチザン化したこの部隊内で私はどのような部署を受け持つことになるのか、そのことだけはよく考えておかなければならないが、などと考えていた。ロマンチックであり、コスモポリタンであった。天皇の放送は、こうした私をガッカリさせた。何物かにたいして腹が立ってならなかった。 (竹内好「屈辱の事件」1953年、丸川哲史『日中100年史 二つの近代を問い直す』光文社、2006年、p.111、重引)

 「革命」の誘因条件としての「戦争」待望論の変形。「正しい」目的のためには「人口の半減」も厭わない清算主義。ドイツの例を考慮すれば、「革命運動が猛烈に全国をひたす」ことはなかっただろうし、沖縄戦の例を考慮すれば、「各地の孤立した軍隊」は「パルチザン」化することはなく、その刃が民衆へ向けられたことは必至である。