井出草平『ひきこもりの社会学』(世界思想社、2007年)

ひきこもりの社会学 (SEKAISHISO SEMINAR)

ひきこもりの社会学 (SEKAISHISO SEMINAR)

 「ひきこもり」は社会参加ができない状態なので、社会事象を分析対象とする社会学が「ひきこもり」を正面から研究するのは素人目にも非常な困難だと思うが、あえてその困難に挑戦している。
 本書は「ひきこもり」の理念型を「規範的」であることに求め、さらに「拘束型」と「開放型」の2類型を抽出している。

 第4章で考察した「拘束型」の「ひきこもり」は規範的であった。規範的であるから、たとえ不適応を起こしても、彼らは所属集団から逃れるという選択肢を取ろうとはしなかった。つまり、規範的であるということは不適応から逃れられないというリスクを抱え込むことになる。
 一方、第5章で考察した「開放型」の「ひきこもり」も同じく「規範的」であった。前所属集団に「純化」された形で適応していることが逆に、次に所属する集団での環境変化について行けなくなるリスクを生んでいた。(p.p.183-184)

 さらに、学校の「外部」の不在に着目している。

 ある者は外部を持たない学校の中で窒息していく。苦しくても逃げ出す外部がなく、不登校になり、やがて「ひきこもり」になっていく。「拘束型」の「ひきこもり」である。
 ある者は外部を知らないままではあるが、学校に適応することができた。しかし、学校に純粋に適応してしまったために、その後の環境の変化に対応することができない。外部のない学校で純粋に適応してしまった「開放型」の「ひきこもり」である。(p.p.198)

 本書に引用された聞き取り調査の対象が6人だけで、しかも著者も認めているように学歴階層の偏りがあること(高学歴傾向)や、「拘束型」と「開放型」の分岐点を「高卒時」に置いていることなどへの疑問はあるが、既定の「規範」を内面化しすぎて逆に「ひきこもり」という逸脱を引き起こすという仮説は首肯しうる。本書の分析は専ら「学校」に起因する「ひきこもり」だけだが、これは「職場」に起因する「ひきこもり」も同様だろう。
 「規範的」であろうとするから、当然「ひきこもり」の犯罪率は一般人のそれよりも低い。著者は「犯罪認知件数×犯罪検挙人員/犯罪検挙件数/成人人口」の計算式を用いて、一般成人の犯罪者率を1.4%と算出し、国立精神・神経センター精神保健研究所社会復帰部編『10代・20代を中心とした「ひきこもり」をめぐる地域精神保健活動のガイドライン』2003年が算出した「ひきこもり」の触法行為率0.7%と比較して、「ひきこもり」の犯罪率は一般の約半分であると断じる(p.65及びp.p.221-222)。この数字を知ることができたのは個人的に収穫だった。