太田昌国『「拉致」異論 日朝関係をどう考えるか』(河出書房、2008年)

「拉致」異論―日朝関係をどう考えるか (河出文庫)

「拉致」異論―日朝関係をどう考えるか (河出文庫)

 初出は2003年刊行。当時読みたかったのだが、諸般の事情で読むことができず、文庫化を機に今回ようやく読んだ。太田の「拉致問題」への姿勢は当時の新聞のインタビューなどでおおよそ知っていたが、今から振り返っても誰よりも問題の本質を掴み、真の日朝間の和解を模索していたのは明白だ。そのことは本書を読んで改めて確信した。
 「家族会」「救う会」や産経系メディアなどの好戦的ナショナリズムへの批判も厳しいが、金日成体制に無批判だった左翼知識人・活動家への(自己批判を含んだ)眼差しも容赦はない。国家権力の犯罪を「民族」の責任という文脈で語ると言う点では両者は共通する。日本の「植民地支配」と朝鮮の「拉致」を相殺するのでも、一方をもって他方を正当化するのでもなく、それぞれ固有の問題として認識しつつ、両方を俎上にあげる視座を模索する太田の姿勢に強く共感する。

 拉致問題への発言を続けなければならないと私が心に決めたとき、対峙すべき相手は三方向にある、と考えた。ひとつは、拉致事件を生み出した北朝鮮の支配体制に対する批判である。ふたつめは、自らの歴史的過去に向き合うことなく、北朝鮮が犯した拉致犯罪のみに凝縮させてしまう、日本ナショナリズムの悪扇動に対する批判である。三つめは、「北朝鮮」なるものが孕む諸問題に対して無自覚・無批判であった(自らを含めた)日本の左翼・進歩派に関わる批判である。いきおい、他者に対する批判が先行する。それだけに、他人の非を言いつのるだけに終るのではない、自己内対話が必要だ。(p.226

 厳しい自省の繰り返しと、二者択一の土俵に引きずられない強い意志と、孤立を恐れず「空気」やイデオロギーを拒絶して自らの良心に従う誠実さが表明されている。これは職業言論人のみならず、一介のブログ書きでも参照しなければなるまい。