藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社、2007年)

秀吉神話をくつがえす (講談社現代新書)

秀吉神話をくつがえす (講談社現代新書)

 この著者の本を読むのは初めてだが、中近世移行期についてここまで通説を全面否定している研究者がいたことに非常に驚いた。さらに豊臣政権の政策を「構造改革」と呼び、その膨張主義を前提とした「帝国の平和」に現代性を見出すところなど、正直あまりに飛躍しすぎではないかと思った。
 豊臣秀吉に関する藤田の主張の要点をまとめると次のようになる。
 1 秀吉は百姓の子ではなく、その出自は被差別階級の非農業民である。
 2 足利義昭は京都追放後も将軍の軍事動員権を保持し、その亡命政権と織田政権の対抗関係の中で、本能寺の変が発生した。
 3 信長政権と秀吉政権は連続した政権ではなく、その中間に織田信雄政権が短期間ながら存在し、秀吉の天下は織田家からの簒奪によって成立した。
 4 いわゆる「豊臣平和令」は実在せず、「惣無事」「天下静謐」は思想的にも法的にも足利将軍の停戦令の延長上にあり、豊臣政権の恣意的な軍事行動を制約するものではなかった。
 以上のように、織田政権の性格、足利幕府の終焉時期、本能寺の変前後の政治情勢、秀吉の政権獲得過程、太閤検地の経済史的意味、豊臣政権の戦争の性格など主要な論点で通説をことごとく否定しているが、アカデミズムの専門家らしくそれぞれ実証的論拠を提示しており、一応は説得力のある論旨展開を行っている。それだけに素人には反論しにくいが、ここまで通説と距離があると、にわかには信じがたいのも事実である。
 藤木久志の「豊臣平和令」に関する論考は、たとえば最近は「刀狩」を一方的な武装解除ではなく、地域社会の平和待望を前提とした積極的武器封印であるという見方を提示するなど発展を見せているが、藤田説に従えばそうした「刀狩」論も全く成立しない。日本の平和主義の源流として「刀狩」を位置づける藤木説には確かに無理があるとも感じていたが、一方で豊臣政権の政策基調に「構造改革」を見出す藤田説にも無理やり現代的意義を付与しているようで(豊臣時代と現代が似ているとまで言っている)、あまり感心しない。いずれにせよ中近世移行期の我々の常識を揺さぶる本であることは確かである。