「労働者の尊厳」と「男の沽券」の交わり

(前略) 「女」が味わってきた「悔しさ」を、若い男たちが味わっている。学歴があろうとなかろうと、女が企業に大切にされ続けるのは男に比べてずっと難しい。賃金差別を平気で行う会社はいまだにあるし、成人女性の6割は仕事をしているが、その半分以上は派遣労働者だ。
(中略)
 秋葉原の加害者の男は、「女に生まれればよかった」とケータイに記していた。そうすればここまで負けてない、という思いだったのか。男としてのプレッシャーは、今でも相当なものがあるのだろうと想像する。男への期待は、女への期待の薄さと表裏一体であることは言うまでもなく、彼は自分が「女側」にいる、ということに自覚的だったのだろう。
 「女だから派遣」は無視されてきた問題だが、「男なのに派遣」だからこそ大問題になる。格差問題が取り上げられる時に、いつもうっすらと感じるイヤな感じが、ここにある。彼の境遇に同情しきれない女の私がいる。(後略) (北原みのり「男の暴力 秋葉原無差別殺傷事件に思うこと」『世界』2008年8月号)

 昨今の「格差」の「語り」の弱点を突いている。「労働者としての尊厳」と「男の沽券」を混同した議論は特に「氷河期世代」の論者に見られる。女性差別意識が雇用待遇差別への反発の原動力になるという現実。雇用問題とジェンダーとの関係性はきちんとフォローしないと、足を掬われるかもしれない。