宮本太郎『福祉政治 日本の生活保障とデモクラシー』(有斐閣、2008年)

福祉政治―日本の生活保障とデモクラシー (有斐閣Insight)

福祉政治―日本の生活保障とデモクラシー (有斐閣Insight)

 戦後日本の社会保障・生活保障の変遷を「福祉レジーム」と「雇用レジーム」の連携という視座からまとめている。「福祉レジーム」は公的扶助、社会保険、社会手当などの公的社会保障に加え、企業福祉や私的保険など民間の福祉サービスを含む。「雇用レジーム」は雇用政策、労使関係、企業保護など経済政策の範疇に含まれるが、社会保障と密接な関係のあるものである。戦後日本は長らく「福祉レジーム」は必ずしも充実しているとは言えず、むしろ長期雇用慣行、企業内福利厚生が福祉の中核であり、それを公共事業や企業保護政策がフォローしていた。いわば「雇用レジーム」が「福祉レジーム」を機能的に代行していたとみなす。

 1960年代から1970年代にかけて姿を現した日本型の生活保障の特質は、福祉レジームを通しての所得再分配よりも、雇用レジームによる雇用の保障に力点を置いた、「仕切られた生活保障」ともいうべきしくみにあった。それは、民間大企業であれ、地方の中小零細企業であれ、男性稼ぎ主の雇用を確保して彼らの一時所得を安定させ、家族主義を通してこれを家族構成員の福利につなげるものだった。
 振り返るならば、小さな福祉国家であった日本が、垂直的な所得の階層化、つまり縦の分断をある程度抑制することができたのは、この「仕切られた生活保障」に負うところが大きかった。公共事業や各種の保護・規制などがつくり出す生活保障は、高生産性部門から低生産性部門へ、都市から地方への所得転移という側面をもっていた。
 逆に言えば、都市の民間大企業労使と地方の第一次産業、自営業、建設業などとの間には、潜在的な緊張関係、横の分断があった。しかし、民間大企業もまた政府の産業政策に依存していた段階では、この緊張関係が顕在化することはなかった。ところが、財政の公債依存度が高まり、他方で大企業が政府の産業政策から自立化するにつれて、この緊張関係が顕在化する。「大企業労使連合」が、臨調行革を通して、地方の利益誘導に反発し小さな政府を志向したことはその表れであった。(p.p.166−167)

 戦後の保守政権の各段階における社会保障政策決定の政治過程を分析しているが、注目すべきはその際に「言説政治」を重くみていることで、対立する諸勢力間の利害を調整したり、世論を誘導・操作するための政治的言説と福祉政策の合意形成の関係を明らかにしている。特に、有権者に不人気の政策を実行するに際して用いられる「避難回避の政治」(ケント・ウィーバー)について、新川敏光が示した諸類型を紹介しているが――1)アジェンダの制限(争点を浮上させない)、2)争点の再定式化(代償政策の準備など)、3)可視性の低下(政策決定者・政策効果の隠蔽)、4)スケープゴートの発見(異なる集団の対立を煽る)、5)超党派的合意形成――、昨今の「劇場政治」に対するリテラシーに使えるだろう。
 新自由主義以降の福祉国家の崩壊については、終身雇用や正規雇用中心の企業福祉を軸とする「雇用レジーム」が動揺・解体したにもかかわらず、それに替わる生活保障の仕組みを「福祉レジーム」が付与できていないことで説明される。「福祉レジーム」の再編には2つの潮流があり、1つは「自立」「自助」を重んじ、給付の抑制と自己負担の増加を進める流れ、もう1つは一部の困窮層を対象にした福祉から、すべての人々を対象とする普遍主義的な福祉を進める流れである。両者は対立面もあるが相互に浸透している面もあり、普遍主義が負担に耐えられない低所得層を排除する危険性も指摘される。それぞれ隘路に陥っているという。
 今後の進むべき方向性として、宮本は公共サービスについては多元化・分権化を求め、所得保障については負の所得税ベーシックインカムのような普遍主義的政策の検討を提示する。雇用政策についても分権化を求め、それ故に「道州制」を示唆する。その結論には疑問があるが、日本の社会保障政策の在り方を考える上で非常に勉強になった。参照文献の説明もあり、この問題の入門書としても最適だろう。