浅見雅男『皇族誕生』(角川書店、2008年)

皇族誕生

皇族誕生

 3つのテーマで構成される。第1は永世皇族制度の確立と変容。第2は軍隊における皇族の姿。第3は皇族のスキャンダル。
 第1の点では、皇室典範制定にあたって、当初伊藤博文はじめ政府首脳は皇族の増加を懸念し、皇族を天皇の4世に限定し、他を臣籍降下する案が有力だったが、枢密院審議の過程で伊藤が変心し、結局永世皇族制になった経過が明かされる。浅見は伊藤の変心の原因は明治天皇の介入と推定するが、本書中でも言及されているように『明治天皇紀』に陸仁が永世皇族反対論を支持したと読み取れる記述があるので、これは注意を要する。その後、明治天皇の娘の降嫁先を確保するためなどして新設の宮家は増加するが、1907年の皇室典範増補により宮家の二男以下は臣籍降下されるようになり、永世皇族はその性格を変えていく。
 第2の点では、皇族軍人の軍での優遇ぶりが明かされる。軍の学校や兵営での特別待遇の実態、一般の将校より早い昇進、危険な戦地を避ける人事など実例を示す。ただし陸軍と海軍では相違があり、陸軍では皇族が同期の一般将校とは比較にならないほどスピード昇進したのに対し、海軍では成績優秀な将校の昇進スピードの差が小さい。これは船を扱う海軍将校の方が個人的能力を要するためと説明される。また、日露戦争時に伏見宮博恭王が被弾で負傷したという話や、竹田宮恒久王と馬を並べていた将校が被弾で戦死した(つまりそのような危険な場所に王がいた)という話は、いずれも実証できないという。日中戦争の南京戦に参戦した朝香宮鳩彦王南京大虐殺に対する責任にも言及している。
 第3の点では、北白川宮能久親王の外国人婚約問題及び「隠し子」騒動と、東久邇宮稔彦王のフランス留学中の帰国拒否問題を取り上げる。北白川宮はドイツ留学中、ドイツ人女性貴族との婚約を公表してしまうが、結局政府・宮中の意向で実現しなかった。宮の死後に現れた「隠し子」は、正式な「側室」の子でないため皇族とは認められず、結局華族に取り立てられるにとどまった。東久邇宮の帰国拒否問題は、宮が皇室に対する強い疎外感を抱いていて、早くから臣籍降下の意思を持っていたこと、大正天皇との不和があったこと(陪食を拒否した)などに起因し、宮中も相当手を焼いたことが明かされる。
 著者は歴史学者ではないが、未刊行の根本史料(「牧野文書」「倉富文書」など)を含む相当数の関係史料を渉猟しており、実証性は高い。近代の皇族の実態を知る上で一読の価値はある。