深谷克己『江戸時代の身分願望 身上がりと上下無し』(吉川弘文館、2006年)

 近世身分制における身分上昇願望=「身上がり」の実相を明らかにしている。軽輩・下士層や無役の武士の就職・昇進運動、「由緒」のある郷士地侍・村役人層の「士分化」願望といった、兵農境界身分における上昇志向のほかにも、被官のような従属農民の「百姓化」、被差別身分の引き上げ、女性の立身等々、その視野は広範囲に渡っている。こうした身分秩序を前提とした個々人、家々の身分上昇願望の一方で、近世社会を通じて「上下(うえした)無し」=平等化・平準化願望もまた底流として存在したという。時にはそれが個人の抜け駆け的な「身上がり」を阻害したり、共同体内の矛盾を照射した。「身上がり」は、例えば百姓から有能な者を統治機構に登用したように、身分制の硬直性を回避して体制安定化の機能を持つ一方、富裕な民への売禄や「献金郷士」のように身分制自体を動揺させる両義性があったという。
 本書の課題は明らかに昨今の「格差社会」論を意識しているが、その観点から今日的に考えさせられるのは、幕末期に信州伊那谷で連続的に発生した南山一揆の事例であろう。この一揆は対外危機・開国と領主交替に伴い、年貢が金納から米納へ切り替わったことが契機となり、1)老中直訴、2)奉行訴願、3)惣百姓強訴、4)小前騒動と変容していくが、一揆の「頭取」の身分が後になるほど下降していく。当初は地侍系の上層農民が指導者だったのが、3)の強訴段階では下層の小前百姓や「渡世人」が指導するようになり、4)の小前騒動は実質的には村役人層と決別した下層の百姓と被官層の平等化運動だった。元来、百姓への「身上がり」を志向する被官とそれを支配する上層農民は矛盾を抱えており、共同体としての一致した政治目的がある場合には、強固な一揆結合を発揮して、事実強訴で勝利を得るが、同時にそれは上層農民にとっては脅威を与えるものだったのである。それ故に一揆の矛先が村落内部の矛盾の是正に向かうと、上層農民らは逆に公権力の介入に訴えた。本書ではほかに、武州一揆の鎮圧に当たったのが、郷士層の「千人同心」や上層農民を徴募したした「農兵」であったことも言及されている。これらの件は近世社会の複雑な階級関係をうかがわせるが、現代日本社会における労働者の分断状況と比較すると、決して過去の話ではない。
 「身上がり」願望とはいわば他者との差別化・特権化願望であり、自己の身分上昇は望んでも、他者が自己と並立することを望むことはないのである。この事実は現代においても正規(典型)雇用層が非正規(非典型)雇用層の「引き上げ」を望まず、むしろその差別・差異の温存を待望したり、他方で非正規層が「引き上げ」よりも正規層の「引き下げ」や、あるいは非正規層固有の「価値」を見出してそれを特権化する志向(かつての被差別身分が特殊な業務を公権力から請け負うことで、それを身分に付随する「特権」とみなしたように)を目指すことを予測させる。「世直し」一揆では平等化志向が噴出したというが、それも「神」の前の平等という、超越的存在を前提にしており、実際のところ「神」が君主へと置き換わり「一君万民」への下地となる。「一君万民」では君主との「距離」による差別が生じやすく、そこでも「身上がり」願望が生じることは言うまでもない。近未来の「平等と自由」の行方についていろいろ考えさせられた。