飯田道子『ナチスと映画 ヒトラーとナチスはどう描かれてきたか』(中央公論新社、2008年)

 前半はナチス政権下の映画政策の実相(検閲によるランクづけ)、記録映画(特にレニ・リーフェンシュタールの「意志の勝利」「民族の祭典」)やニュース映画(戦地における「宣伝中隊」の活動など)や劇映画(反英感情や反ユダヤ主義を喚起する娯楽作品など)のプロパガンダ機能の概要。ナチスの映画利用はヒトラーゲッペルスの映画愛好が影響、一方でヒトラーはある種の「アイドル」として受容されたように、映画な中のヒトラー像はドイツ民衆の願望の反映でもあった。しかし戦局が不利になるとプロパガンダは力を失う。「プロパガンダは所詮プロパガンダであり、実体がなければ効果は限りなく薄いものだった」(p.133)。
 後半は大戦後の映画におけるヒトラー像、ナチス像の変容。大戦中の連合国側ではヒトラーが「笑い」の対象として滑稽化されもしたが(チャップリン「独裁者」など)、ナチスの犯罪の実態が次第に明らかになると容易にパロディにはできなくなる。1960年代までは専ら定番の「悪」として描かれる。1969年のヴィスコンティ「地獄の堕ちた勇者ども」あたりから、ナチスに「美しく魅力的な」表層を見出す傾向が生じ、「悪」に加えて「倒錯」と「美」の表層が加わった。ただしドイツではより深刻にナチス時代を検証し、「過去の克服」を試みた映画が作られる(「ブリキの太鼓」など)。「夜と霧」に始まる「ホロコースト映画」の系譜は、記録映像を一切使わなかった1985年の「ショアー」において旧来のドキュメンタリーの枠を超える。1990年代になると「シンドラーのリスト」を契機に「ホロコースト」映画にすらカタルシスが持ち込まれ、ナチス像はエンターテイメント化していく(「ヒトラーの贋札」など)。一方、20世紀末頃からヒトラーを等身大の「人間」として描く試みが現れる(「モレク神」「最後の12日間」)。そこでは1人の「普通」の「苦悩」する「気弱」なヒトラー像が提示される。映像化されたナチス像、ヒトラー像の表層が集積し「記憶」となっていく。
 「モレク神」の監督アレクサンドル・ソクーロフの発言が印象に残った。

 我々としては、彼らが権力の座にあるからといって特別な人間だろうという立場は取っていません。彼らはあくまでただの人間なのです。権力の座にある人間とは、社会からその役割を与えられた人間だと思うのです。人間が本来の自分以上のなにかを与えられてしまうこと、それ以上の存在になってしまうことこそ危険なのです。そして彼を過度の賞讃と、デマゴギーによって、そこまで膨らませてしまうのは、実は我々なのです。 (p.p.208−209)

 いかなる演説も聴衆がいなければ意味をなさない。いかなるプロパガンダもそれを受容する観客なくして成り立たない。「小泉劇場」や「政権交代劇場」を経験した現代の「日本」人にはとりわけ重要な視点である。