「自己責任」と「自力救済」のあいだ

http://www.j-cast.com/tv/2010/01/22058512.html

 「今の自分は努力しなかった結果だ。つい自分を責めてしまう」「相談すれば負け組になる」「1度でも助けを求めたらそこで終わり」……。「自己責任論」のオンパレードである。
(中略)
  では、どうすればいいのか。NPOの代表は、「自己責任論は、社会の側や周りの人たちが助けないための論理」だとし、「生活保護とかハローワークとかの受け皿も大事だが、それをつないでいく人の役割がもっと大事。伴走的に支援して行くコーディネートの役割が社会的に保障されなければいけない」と語る。

 http://d.hatena.ne.jp/mahounofuefuki/20080806/1218011239でメモしておいた大澤真幸の問い「なぜ左翼は勝てないのか」の答えの一端。既成左翼は基本的に「弱者」側からのアクションを求めるが、「自己責任」論が骨の髄までしみ込んでいる者が「自ら」動くことはない。左翼が「弱者」に「闘え」と要求するのは、実質的には「自力救済」要求であり、資本が労働者に過酷な成果を求めるのと何ら変わらない。最悪の例だと「自己責任」観を有していること自体が「自業自得」だというベテラン左翼もいた。そもそも「自己責任」観を内面化していないこと自体が就職市場で不利であるという現状を全然理解しようともしない。「伴走的救済者」たりえていないから左翼は支持が広がらないのである。
 それは別として、「相談すれば負け組になる」という意識は単に主観的な思い込みではない。現実問題として標準的ライフサイクルから脱落すれば復帰するのは困難であり、「扶助される存在」から抜け出せないのが現状である。「自己責任」論が支配する企業社会か「抜け出せない貧困」かの二者択一に置かれていている。故に、根本的に「自己責任」論を克服するには、「資本の論理が支配する領域」から外れても生活できる「場」が成立することが必要である。公務員を増やして失業者を優先採用するとか、「企業以外」の働く場を創出するとかの「外からの救済」を行わない限り、問題は一向に解決することはないだろう。