疎外されし者の「敵意」の行方

 あなたがたが私のような大逆犯人の出ることを欲せず、今の社会の繁栄と維持を望まんとするなら、速やかに誤まった権力の行使を改め、民の心を心として、虐げられたる人々を解放し、万民平等の社会の実現に努力せよ、然らざれば我七度生れ変っても、大逆事件を繰返すであろう。これが死んで行く自分の諸君への贈り物である。 (難波大助の大審院法廷における発言、楢橋渡『人間の反逆』より、井上章一『狂気と王権』文庫版、講談社、2008年、p.48より重引)

 難波は「無政府主義に深い影響を受けテロリストになった者であるが、当時の社会運動の組織とはつながりはなかった」(Yahoo!百科事典「虎の門事件」、佐藤能丸執筆)といういわば「孤独な」「机上の」反体制者であった。「承認格差」に起因する強い憎悪は、昨今の「孤独な」者による反社会的犯罪に共通するが、1920年代には明確な「標的」があり、テロを正当化するために普遍的な「公益」を掲げたが、現代では憎悪の対象が不特定多数であったり、あるいは「標的」が特定されていても「飼い犬を殺されたから」というような「私益」をもってテロを正当化する。敵意は拡散すれば「反」社会的になり、集中すれば「非」社会的になるのが現代のテロの特徴か。

 ・・・・今日の公判を見る限り、やはり「彼」はダークヒーローになりそこねたね。