湯浅誠の「地域主権」徹底批判

http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10446403104.html

 しかし、いまナショナルミニマム(政府がすべての国民に保障する最低限度の生活水準)は、「地域主権」「地方分権」という流れの中で、軽視されています。最近では、地方自治体の仕事の内容や方法を国が定める「義務づけ」をはずすという流れの中で、保育所の最低基準を無くそうとする動きなどが出ています。
 民主党の政策の中で、いちばん違和感を持つのはこの「地域主権」「地方分権」です。「新自由主義」「自己責任論」が地方にも押しつけられて、地域間の格差が広がったという問題を是正しなければいけないのに、そこを十分ふまえずに「地方分権」をさらに進めていけば、ナショナルミニマムは一層壊され、国民の暮らしはたちゆかなくなります。たとえば就学援助は、小泉政権の「三位一体改革」で地方に財源移譲された結果、財政の厳しい自治体ではどんどん減らされてしまいました。そういうことが他のいろんな施策でも起こりかねません。
 国民の最低限の生活を保障するナショナムミニマムについては、国が責任をきちんと持った上で、その上乗せ部分を地方自治体が独自にやる方向でなければならないと思います。国と地方自治体との関係はそういうかたちにしていくべきで、ナショナルミニマムを壊すような「地域主権」「地方分権」は進めるべきではありません。
(中略)
貧困の広がりの中で、臨時的にも公的シェルターが必要なのですが、これも国と地方自治体の問題があり暗礁の乗り上げてしまう。この問題も「地方分権」という流れがつくられていて、地方単位で住宅計画をつくるというような枠組みがあり、国として直営でというわけにいかない流れになってしまっています。
(中略)
生活保護も受け付けるなら協力できないと地方自治体から言われた厚労省や政権側も、結局「地方分権」の流れの中で「国が自治体に命令できる時代ではない」として動こうとはしなかったのです。生活保護の受付はできませんでしたが、今回のワンストップサービスをハローワークで実施できたのは、全国にあるハローワークが国の行政サービスだったからではないでしょうか。
 国民の最低限の生活を保障するナショナムミニマムの取り組みにあたっても、国というのはこんなにも力が無いものなのかと思いました。「地域主権」「地方分権」の流れの中で、国は手足である「国の出先機関」を失っていっているのです。

 「地域主権」に潜む「応益負担」論が貧困を拡大している実態を見事に喝破している。福祉国家派が分権論に取り込まれつつある中で、湯浅氏のブレのなさは心強い(ただし、ナショナリズムに利用されるリスクも相変わらずではあるが)。
 一昨年、私がいくら行政の分権化や外部委託化の危険性を主張しても、「リベラル」たちは全く聞く耳を持たなかったが、ほかでもない湯浅氏の言葉ならば届くと思いたいが・・・・。