卓越性の「自覚」と分断の連鎖

 「わたしは高等中学六年で中退ですよ。大学を出て予審判事になったポルフィーリーさんのような人に対しては、嫉妬もあるし、悔しさもある。警察署の事務室で召喚状で呼び出された人々の愚痴や言い逃れを聞くという生活を続けていると、事件が起こる度に颯爽と飛び出していく捜査官や、予審判事に対して、尊敬というよりは、憎悪の感情を抱くこともあるのです。そのイヴァンという毛皮職人の憎悪に満ちたまなざしにさらされて、わたしは初めて理解したのです。わたしは自分が社会の底にいるような気がしていて、自分よりも上にいる人間たちを憎悪していたのですがね、しかしそんなわたしを見て憎悪を抱く民衆もいるわけですね。彼らにとっては、文字が読めるというだけで、そいつは憎悪の対象なのです。まして語学ができたり、何らかの役職に就いているような輩は、すべて斧で撃ち殺してやりたいような仇敵なのですね。」 (三田誠広『新釈 罪と罰 スヴィトリガイロフの死』作品社、2009年、p.112)

 中間層の「引き下げ」デモクラシーの心理。「下」に対する卓越性を「自覚」することで、「上」に対する憎悪が消える。その「毛皮職人」もさらに「下」から同様の憎悪の眼差しを受けるだろうことは想像に難くない。階層間の分断の連鎖。