李王の娘の学習院不登校

また、方子女王の義理の妹にあたる李徳恵(李王垠の異母妹)は朝鮮の日出小学校から学習院に転校してきた。しかし、異国の貴族学校になじめなかったのか体調不良で登校拒否となっている。義姉の方子は「何か学校の友だちにいわれたことを、感情的に強く受けられて、くよくよといつまでも気になさったりする」と述べている。そして「行きたくない、と終日床につかれて、食事にも出ようとされません。夜は強度の不眠症で、ときには突然外にとび出され、おどろいてお捜しすると、裏門から赤坂見附のほうへ歩いておられた」ともいう。朝鮮王家の娘とはいえ、併合された国であり、実母の身分は低く、かつ有力な後見人もおらず、人質同様にして連れてこられた少女にとって、必ずしも居心地のいい世界ではなかったようだ。とくに徳恵は実の親がなく、李王職の篠田治策次官が保護者であり後見人となっていたが、学校での悩みを打ちあけられる人ではなかったのである。 (小田部雄次『皇族に嫁いだ女性たち』角川書店、2009年、p.189)

 事情・背景は違うし、王公族と皇族の違いを軽視するべきでもないが、一応前例として。