「高学歴ワーキングプア」としての「只野凡児」

 昭和二年、蔵相の失言から発した金融恐慌はさらに昭和四年、ニューヨーク株式の大暴落による世界恐慌も波及して不況は深刻になり、同年には「大学は出たけれど」という流行語が生まれた。そのような時代に凡児は大学を卒業し、即、失業者となる。無学の父「ノントウ」は万年失業者として関東大震災後の不況を生き抜いたが、インテリの凡児は青春まっ只中に失業生活をおくることになる。恋をするので巌さんほどの人生のむなしさを感じていないが、失恋という悲哀をしょいこむことにもなる。父の苦難時代は労働運動の高揚という救いがあったが、凡児は共産党も労働運動も壊滅した時代を生きていくのである。
 やがて凡児は月給五〇円の就職口を見つけて、友だちとカフェ―で祝杯をあげる。そばに付いたカフェ―の女性たちが凡児の月給を聞いて驚く。「ソンナケチナ会社サッサトヤメチャイナサイ」「アタシナンカ今月トテモ不景気デ百五十円位シカナククサッテイルノヨ」といわれてしまう。 (清水勲四コマ漫画 北斎から「萌え」まで』岩波書店、2009年、p.p.80−81)

 1933−34年に『東京朝日新聞』夕刊で連載されてた麻生豊の4コマ漫画「人生勉強」の話。主人公の「只野凡児」の「高学歴ワーキングプア」ぶりはそのまま現代に通用する。先行世代の「闘争」の挫折のツケを支払わされるところまで同じだ。